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豊田シティバレエ団 ブログ

諏訪等の人間像クローズアップ
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    平成25年4月15日

    諏訪等 昭和22年3月生まれの66歳
    生まれた当時の家庭は農家で親父は、ろくに仕事もせず遊びまくっていた。
    当時(昭和17年頃)ハーレーダビットソンにまたがり遊んでいた親父。
    昭和74年1月東京バレエ団6ケ月ヨーロッパ公演を最後に退団した。親父の死後、農家を継ぐのは苦手、バレエ教室を開くということで兄弟が納得した。
    その年の8月豊田バレエ学園を誕生させた。豊田市初のバレエ教室でした。
    教室を拡大して10ケ所に支部教室を開く。主に名古屋その他に瀬戸・岡崎・松戸など精力的に支部教室を開いた。
    姉妹都市の国際バレエ文化交流にも力を注いだ。デトロイト市と相互で交流公演を行い、1988年から10年続いた。
    又ジャズダンスのブーム到来に合わせ、各所支部教室でジャズダンスも取り入れた。
    中部ジャズダンス協会を発足させ、毎年名古屋ジャズダンスフェスティバルを開催した。
    海外にも時々訪問して、本場のバレエを見る。東京バレエ団がイギリスから教師を招いて、関連教室に教師を送った。このバレエセミナールも約10年続いたが、断ち切れとなった。
    海外からダンサーを招いて公演も行った。又国内で当時優秀な振付家を育てる公演を主催し、3都市で行う。[バレエ振付家を育てるパフォーマンス] この企画公演も経済的に長くは続かなかった。
    日本にバレエ専門学校がないのはなぜ!?1995年私の敷地内に10階建のバレエ専門学校[豊田バレエ学校]を開校した。教師は海外から招き、規則正しく生活できる環境の学校です。モスクワやペテルブルグ市に時々行く機会が増えて何度か訪問しているうちに、ウズベキスタンにも良いバレエ団があると聞かされ、さっそく足を延ばしてみた。
    当時ボリショイという呼び名の劇場は、モスクワのボリショイ劇場・ベラルーシのボリショイ劇場・ウズベキスタンのボリショイ劇場でした。マリインスキー劇場もボリショイです。そして交流することになり、1999年から毎年日本公演を実現した。
    今は、劇場の修復が行われています。抑留された日本人が作った劇場です。地震に強い建物として、日本建築が評価されました。2015年に劇場修復が終了すると再び交流が行われ、日本公演も再開することになる。今、諏訪のバレエ人生を矢作新報社で連載中。
    今年、7月11日から行われるブラジルの国際バレエコンクールの審査委員として諏訪は招待されている。
    諏訪バレエ歴
    1995年4月 日本初のバレエ専門学校創設(高校卒業資格取得)
    1997年ロシアサンクトペテルブルグ芸術家同盟よりチャイコフスキー称号使用許可
    2002年愛知県芸術文化選奨文化賞 受賞 2007年ディアギレフ記念賞 受賞
    | バレエ | 16:45 | comments(2) | - | - | - |
    巳年 今の人、この頃のバレエ界
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      私ごと、
       バレエ生活50周年、豊田市バレエの育成40周年、NPO豊田シティバレエ団25周年、刻々と時代は変わる。バレエ啓発40年新たな気持ちで再出発。2011年の3.11 震災に遭遇された方々への想いは、想像絶する想い。悔しい政治の在り方進み方。日本のバレエ界でも今異変が起こっている。何も変わらない日本のバレエ界、幹部たちが中央のバレエ関係者がバレエ界を変えようとしない、何も行わない?これで日本の舞台芸術【バレエ】を救えるのか?身銭を切ってでも真剣に取り組まないと益々、マイナスの環境が続く。ダンサーとして生活できるように、素晴らしいダンサーを生み出す。専門学校の構築、将来安心して生活できる環境作りは、まだまだほど遠い、今何かをしないと、次に伝える事も希望も望めない。マイナーなバレエは何か取り残されているような感じがする。心をなごますバレエは、希望を与え、勇気を与え、舞台芸術、皆で次世代へ伝える道筋を作ろう。
       この頃は、特に親に教育をしないと、子供がかわいそう。親の考えが強く本人は、教室を変わらなくてもいいのに親が勝手に考えて強制的に言い含めて変わってしまう傾向が目立つ。その言い分として、海外とのコネクションがない、コンクールに入賞していない、先生が年寄りだから、教室が狭い。発表会の内容が良くない、お金がかかり過ぎる、等々色々な意見があるが、結局は親のエゴで、思うようにならないと他の教室に心が行ってしまう。これもバレエ界の整理や組織ができていないこともあるが、親の考えが強過ぎる。30年〜40年前は、クラシックバレエは、現代的な感覚の踊りとは違う。基本は、バレエだとしていたが、今はテレビのバックダンサーやかっこいい音楽で身体を動かすものが好かれる。しかし踊りの基本は、クラシックバレエ。目先にとらわれずにじっくりと基本を学んだダンサーが勝ち。教師も熟練された先生で、38歳以上素晴らしい教師は、皆年輩だ。フォンティーン・コルパコーワ・プリセッカヤ・アルスムラートワ他。
       ヨーロッパでは、ダンサーは、指導してはいけない。教師の資格試験をパスした、38歳以上の方だ目指すコース。日本では、資格試験もないので誰でも先生になれる。先生の助手をしていて、高校卒業し、指導者となる傾向が多い。ダンサーとしても指導者としてもまだまだ未熟だ。それでも通用する日本のバレエ界。バレエ専門学校もないから環境もない。教師としての最低の知識は、多くの舞台に立ち、年間100回以上踊り、海外の舞台も経験し、最低5年間は、プロの中でもまれて人間関係もうまくできるようになってから教師の道を考えることが望ましいと思う。
      | バレエ | 18:59 | comments(0) | - | - | - |
      諏訪等バレエ人生50周年記念「自伝」連載!
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         お陰様でバレエを始めて50年を迎えます。私の生きざまを地元の新聞『矢作新報』で毎回連載する運びとなりました。
         生まれ故郷豊田市でバレエ指導する事に大きな夢と希望に燃え、東京バレエ団へ入団。退団後、故郷豊田市にて日本初のバレエ専門学校を開設しました。しかし当初の期待とはうらはらに、舞台美術不毛の土地柄で苦闘しました。「バレエ界のドンキホーテ」とも呼ばれ、バレエ界では類をみない海外公演17次45回、国内公園年500回以上を続けてきました。現在に至るまでのありのままの歩みを書き綴りました。
         是非矢作新報紙をご購読いただき、皆様と共に舞台芸術に関して大いに語りましょう、我が街のために。

        豊田バレエ学校 校長 諏訪 等


        筆者20代の頃
        筆者20代の頃

        | バレエ | 19:45 | comments(1) | - | - | - |
        主宰者及び指導者の方々へ
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          いろいろな話がありますがなぜ私は、遅くにコンクールを開催するかのか? 今の日本において、舞台芸術では生活できない環境にあります。又地方の先生方は、手塩にかけて育てた生徒が東京や海外に行きたがる。なぜそのような事が起きるか? 沢山踊りたいからです。地方ではあまり公演回数もなければ、メジャーなバレエ団でもない。そして生徒と先生の間でトラブルが起きることになる。


          本来ならば、その生徒のために一番よい道を開いてあげるのが先生です。それを止めようとする先生も少なくない。しかし止めようとすればするほど生徒は反発します。有名なバレエ団の舞台で踊りたいからです。そんなことを充分理解して、この子供フェスティバル(コンクール)を企画しました。大事な生徒を取るそんなことは望んでいません。日本のバレエ界を皆さんで変えましょう。ヨーロッパ並みに。バレエ学校・バレエ団・ダンサーは、国家公務員20年間劇場で働けば、年金生活となります。少なくとも日本においては、育てた先生の所に奨励金が支払われるような仕組みを、(主なバレエ団に生徒を入団させたとき) この豊田全国バレエコンクールにおいては、先生に無断で生徒募集等は致しません。皆様のご理解をお願いします。


          マイナーなバレエ、バレエオリンピックもない、体育系は世界共通の競技がある。バレエにはない。又専門学校も少ない。地方の先生が、優秀な生徒を育てた教室が、潤うような仕組みを構築しなければならない。海外研修は、1年間で、全幕物のバレエ6作以上体験できます(日本ではない) 先生の強み

          | バレエ | 16:25 | comments(0) | - | - | - |
          将来本当にバレエで身を立てたい方々へ
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            2012年2月吉日 事務局より


            地方でのバレエ指導は、東京と違って大変苦労が多い、先生方が手塩にかけて育てた生徒が大きくなると東京や海外へ行ってしまう。東京が潤っているのも地方の先生のおかげ、生徒は踊りたいのです。沢山舞台に立つにつれていろんなことを学びます。公演プログラムをみると出演者を育てた先生の名前もない淋しいこんなことでよいのでしょうか? 日本のバレエ界を皆で変えましょう。創立18年チャイコフスキー記念豊田バレエ学校は、海外の教師を常駐させ毎日厳しい指導を重ねています。そこで先生方にお願いですが、時々でも他の教室で学べるように、生活環境を変える。指導者を招いて気分転換、公演に参加して体験を重ねる(デメリットも多い生徒を引き抜かれやしないか?)。 又、他の教室のほうがいいから代わりたいなどなどいろいろな意見や考え方があります。マイナス面が少なく済むように、先生に恩返しが出来るようになればそのバレエ教室も潤うと思います。[かわいい孫には旅させろ]と言うことわざがありますが。信頼のおけるバレエ専門機関に預けたり、そこから海外への留学も夢ではないとしたらどう思いますか? *沢山のお金を使って留学ではない方法を! 豊田バレエ学校の諏訪は、全財産をバレエにつぎ込み、日本のバレエ界に一石を投じていると自負しています。高校卒業資格取得のバレエ専門学校[豊田バレエ学校]を創立し、海外との交流も積極的に行い、チャイコフスキーの名称使用も許可され、エルミタージュ美術館劇場での定期公演も実施しています。諏訪は、ヨーロッパや旧ロシア等のバレエ協議会やフエスティバル等にも招待され多くのバレエ界をみてきました。コンクールでは、ベルリン・バルナ・カザフスタン・韓国・イタリヤ等 フェスティバルでは、バシキリャ共和国、カザン・ぺルミー・ラトビア・トルコ・ウズベキスタン・ミンスク・他で招かれました。豊田バレエ学校の存在を通じて(生徒を引き抜く引き抜かないのレベルではなく)本当に日本のバレエ界を何とか日本政府にまで答申してでも芸術家が生活できる環境を作りたいのです。そうでなければ、全財産約10億出しませんよ! 将来に向けて皆で少しでもいいから前に進めたい。その考えこそ日本のバレエの真の先生であると確信しています。更に大きな考えで、世界に目を向けましょう。ヨーロッパでは、芸術家は、専門学校卒業まで学費無料、卒業と同時に劇場と契約、20年間劇場で働けば、年金生活。国内よりも海外での研修は大変意味があります。1年間で、少なくとも全幕物に、6〜8本くらい学べます。日本のバレエ団では無理! 海外での研修もできます。そんなバレエ好き馬鹿がいます。アパートもあります(賃貸)。バレエ講習会や公演参加もできます。先生のお考え一つ、皆様の力で、豊田全国バレエコンクールへ是非とも参加させましょう。
            [参考] HP:豊田バレエ学校で検索してみてください。

            | バレエ | 16:16 | - | - | - | - |